今日8月6日は、原爆記念日。
昭和20年8月6日8時15分に、たった1発の原子爆弾が、原爆ドーム上空600mで炸裂し10数万の尊い命が亡くなった。

巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして破壊、木造建築は全数が全壊した。
鉄筋コンクリート建築である広島県産業奨励館(現原爆ドーム)は垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破したが完全な破壊は免れてた。

そして、1996年には世界遺産に登録されます。
「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産としての登録です。

そもそも、広島県産業奨励館は、どんな建物だったのでしょう。
ここに当時の一枚の写真があります。

大正期の広島県立商品陳列所(左)と現在の原爆ドーム(右)。対岸のほぼ同じ場所より撮影
産業奨励館と元安川の風景 出典:Wikipedia

穏やかな元安川にたたずむ産業奨励館は、記録によると1915年(大正4年)4月5日に竣工、同年8月5日に開館した。設計はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル。ドームの先端までの高さは約25mあり、ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物だったそう。
大正時代の建物ということで、それまでの明治時代の建築に見られるような重厚な柱を使ったデザインではないが、細かいところにゴテゴテした装飾も見られるなど昭和の建築とも違いがあります。

建築設計が外国人であったことを証明づけるものに、館内には珍しいラセン階段があります。
当時はこの一階事務所前から三階に通じたラセン階段は白ペンキで塗られていたそうです。
ある被爆者の方と話しをする機会があったのですが、当時この産業奨励館に遠足で来たことがあるそうで、このらせん階段がとても印象に残っておられるようでした。
原爆ドームの裏側に回ると、このらせん階段が見てとれます。

当時、遠足などに利用されていた観光場所でもあった産業奨励館。
一瞬にしてそんな平和が地獄のようになってしまいました。
改めて、核兵器廃絶、戦争のない平和な世界になるように願わざるを得ません。